昭和43年1月31日 朝の御理解     (末永信太郎)    №43-017



 御理解第68節に、神参りをするに、雨が降るから風が吹くから偉いと思うてはならん。その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。これは、68節の前半のところですね。まだ、これは長い御理解です。ここんところを信心させてもらう者は、本当に心にかけておかなければいけませんですね。神参りをするに、雨が降るから風が吹くから偉い大儀と思うてはならん。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ、と。
 寒修行も、もう、後4~5日ですか、4日までですかね。段々、この寒修行は寒修行らしゅうなって参りました。皆さんも段々、こう、増える一方。もう、あと何日だからという訳なんですよね。または、今までご無礼しておった人が、せめて産後の2~3日間なっとんというような気持ちかも知れませんですね。
 ところがです、どうでしょうか、その、後、まあ、2~3日でこれは終えると思いよるとに、神様が、もう一月、寒延期なりと言われたらどうします。がっかりするような人はないでしょうか。(笑)先日、久留米の佐田さんが、それをやっぱ思われたそうです。ほとんど、皆さん起きられる時に、はあ、あとまあ、何日間だ、と。はあ、(   )頑張らなと、こう、布団の上で(会うて?)、御主人の方。そしたら、それこそ、あの、神様の声でしょうね。もう、しかも、えらい厳しいい声でですね、二月間延期!と言うて頂かれたそうです。もう、まあ、嬉しいやらガッカリするやら、まあ、交々なものじゃったとじゃなかろうかと思うんですけれども。で、そのことを、これは、もう、親先生でん誰でん言うなっち。
 で、奥さんに話されたんです。そしたら、奥さんがよっぽど、まあ、嬉しいい顔をなさったんでしょうね。お前ばっかりは、嬉しい顔をしてからち言うちから言いなさったち言ってから。(笑)皆さん、どうでしょうか。まあ、二月間とはいかんでも、一月延期だ、と。ね。おそらくは神様のご神意の中には、おそらく二月が終えたら、もう半年、もう一年。そうして行くうちに、本当に朝参りの有り難さというものを本当に分からせて下さって。それこそ、佐田先生じゃないですけれども、めぐりの出る隙もないほどの信心を頂かせたいのが、神様の本当のご神意じゃなかろうかと、こう思うんですね。
 と言うて皆さんが、続けんならんということはないですよ。ないけれどもですね、ご神意はそうだと、こう思う。これは、もう、椛目から合楽、椛目の信心の今は、はじまりがそげんでしたもんですね。私のおるところが、お前がおるところが、もう、御結界じゃと、こう仰る。だから、寝床ん中におろうが、ね、どこにおろうが、もう、そこが御結界であった。
 ああ、そげん、袴やら紋付やら着けんでもよか、と。もう、本当に、あの、ランニングシャツ一枚で、御取次をさせて頂いた、たくさんお話を頂きよった。暑いて、私がもう、裸になってから、御取次をさせてもらうという時代があった。こげな風なら、あんまり難しゅうはなかていて私が思うた。まあ、それで、まあ、言うならば引き受けたわけですよね、神様が言うて下さることを。
 ところがところが、段々だんだん、御願いをさせて頂き、おかげを頂かせて頂きよりましたら、第一ですね、夏に白足袋のお供えがあった。それから、袴のお供えがあり、羽織のお供えがあり、まあ、どうでも、もう、私はこの袴を履くのが、もう、大嫌いでございましてね。
 で、神様はですね、はじめは、もう、一見袴のような、このひだを取ったですね、前掛けのお供えを頂きました、一番はじめに。ちょうど、それを、こうやって座っておりますと、ちょうど、あの、浄瑠璃語りさん達がやっとるようなね、前袴です、前だけの袴。ちょうど前掛けのように。
 (  )ちょっと、こう(立ち、さあ、歩きよっても?)、ただ、前掛けをはめておるような感じなんです。で、座ると袴のような感じ。そういうのが集まって参りましたね。もう、それけん、何げなしにはめよった。ところが、こうして座っとると、袴のごたる。ね。
 それが段々、袴になり、ね、寒いから足袋を履くというのじゃない。やっぱり、御神前に出るなら、夏でも、きちっと白足袋を履いておかなければというのが、まあ、次の信心を進めさせて下さるご神意であった。その向こうの方の御結界の机のお供えが来た。あの衝立のお供えが来た。初めの間は大接での間に座って、こういう風にしてからお話をしよった。これは、どうしても、こげなん風にせんならんこと。もう、何からかにまでがお供えであった。いわゆる、その、お供え攻め。
 同時にその頃、もう、のっぴきもならない神様へ対するご無礼が出けた。中島のあの、上滝さんが亡くなられる前後のことであった。もう、その時には、私がもう、神様にですね、袴も履きます、足袋も履きます、御結界を作って下さるなら、御結界にも座りましょう、と。ね。そのために、どうぞ、このことは御許し下さいと言うて、お詫びをしなければならないようなことになった。
 だから、もう、もう、神様が仰らんでも、そうさせてもらわなければ、私はあの時分、朝から四時まではぶっ続けに座りました。あの時分には、血の小便を行くようにありました、立ちませんから。ね。それでもです、それでも、あの辛抱しました。ね。これでお詫びが叶うならばと、こう、いう信心なんです。もう、あの時分はですね、上滝さんが亡くなられた時には、月次祭のお参りは半分になりました。ね。
 あれほどに、上滝さん上滝さんと、こう言われて、ね。本当に、その頃からこっちのことをいろいろ考えてみますとです、それこそ、大きな難儀な、椛目的問題が、難儀があればあるほど、椛目はごひれいを頂いて参りましたですね。一番最近の例なんかは、なら、久保山先生が、ああいう御国替えなさった時なんか、もう、かえって熱烈になりましたもんね、みなさんが。
 信心しよって、そげなことがあっていいものは誰もなかったです。ほどに、やはり、椛目的信心がです、ね、合楽に移る前の前提としての信心が、強化なものになっておったことを感じますですね。しかし、そこをご神意を悟るでしょうが。ね。初めの間は、まあ、よかよか、そげんでよかて。もう、ランニングシャツ一枚で御取次が出ける。もう、それが御取次。お前がこう、神様に言うてやりゃ、もう、それが御取次じゃ。お前のおるところが、もう、そこが御結界だ。神様の世界と氏子の世界を取り結ぶところはそこなんだ。それでいい。そんなら、ばさらか難しかことなかたいと、こう。ね。
 そうしてです、それは、なるほど、血の小便を(おく?)ことですから、まあ、大変術ないことでございましたけれども、さあ、今の私は、もう、ここが一番よいとこということになって。一昨日、昨日、もう、風邪が大変、風邪の具合が悪いんですけれども、ここに座っとる間はです、久富先生が昨日は少し早目に代わろうと言うて見えましたけれども、代わろうごともないぐらいに、ここが有り難いとこです。これは本当です。足の痛いなんか、それこそ全然、そげなことじゃないです。ね。
 いよいよ、私が助かって行きよる姿です。ね。皆さんが本当に、本当の助かりを下さるために、神様が様々なご教導というかね、佐田さんに神様が仰ったように、ああ、まあ、何日で、もう、朝起きせんでよかぞ、と。ほう、フッとこう、布団の上でこう、感じられた途端にです、二ヶ月延期。そこに私は、佐田さんへの、一家への神様の信心の期待というか、願いが大きいことも(忘れますけれども?分かりますけれども?)、やはり、ちょっとしたショックだった。ショックというよりも、ガッカリだったんじゃなかろうか。
 奥さんがニコニコされて、お前ばっかりはニコニコしてからち言いたいようなものがある。ね。よくよく考えてみると、本当にそこにご神意を分からせてもらう。神様がこうして、(御用を下さるんだ?)、教導して下さるんだということを分かられて来ると、それが、また有り難い。
 朝参りということが、いかに有り難いことかということが身についてしまう。神参りをするのに、雨が降るから風が吹くから偉いと思うてはならん。そこのところをですね、そこんところを辛抱する。ああ、もう、これでお終いと思うたら、まひと月間、と。そこんところの辛抱が、もう、これは徳になって行くんです。その辛抱こそが、身に徳を受ける修行じゃと、こう言う。
 私はどうでも、あの、佐田先生をお迎えしてこの方感じることですけれども、もう、信心とはやはり、御神徳を受けることですよ。もう、御神徳を受けなければ、もう本当に人間の幸せはない。それは、お参りをしよりゃ、昨日のお話じゃないけれどもですね、(     差はいっちょん?)じゃないけれども、あの世
での助かりはあるかも知れませんよね、信心しとったんじゃから。ね。助かるというても、ね、けれどもやはり、この世で助かって、この世で御徳を受けてです、その徳をあの世にも持って行け、この世にも残しておけるというような徳でなからなければ、本当なことじゃないということをです、思うんです。
 なら、そこで、なら、御神徳を受けるためには、どう在らなければならないかということ。昨日、一昨日でした。久富繁雄さんが、先生、私はあの、あげな御大祭やら何かん時にお茶の御用をさせて頂きますが、私はこれから、すばらく御遠慮させて頂こうと思いますち言わっしゃる。なしやち。いや、とても、私ごたるモンじゃ、あそこの雰囲気を、言うなら納めきらん。まあ、偉い人ばっかりじゃから。
 もう、その雰囲気が、もう、私どもじゃ駄目だと、こう言うわけなんです。ね。この前の(掃除の時に?そうした時に?)秋永先生んとこの奥さん、渡辺先生、ね。それに、富永さん。もう、それぞれが、やっぱ(いっぽうのしょうたる?)人ばっかりなんです。けれども、私は思いました。
 本当にあの、この三人の方が御用をして下さるんですよね。もう、これは他ん者じゃ駄目だと私は思うたんです、この御用だけは。なぜって、例えば、私がいつ行きましてもですね、誰かが、その、佐田先生のご相手をしておられるんです。もう、どういうお話ででも、相手になっておれれるということですね。渡辺先生であろうが、富永さんであろうが、秋永さんであろうが。
 もう、それこそ、もう、それぞれが、もう、その、他の出けんなあ、と私は思うたんです。ね。繁雄さんは表面に出られるわけじゃない。こっちの方でちょっと、今度はこの茶碗を使うて下さい、今度はこのお茶を入れて下さいとこう、言うだけだけれども、そこにです、それは、しげおっちゃま、こんなのが良うなかですかち。そりゃ、こげんがよかですよち言うてから、それけん、もう頭がどうかなってしまうて、ああいう偉い人達ばっかりにやられれると。(笑)
 それで、もう、あなた、本当すいませんばってん、一番はじめのお茶なあなた、後から飲んでから、とにかく苦い、玉露であるのにも関わらず、苦いごとお茶を出した。もう、後で本当に、こげな失敗。それがその、(   )が多いすぎるもんですから、それがあの、どの人でも立派なんです、あまりに立派すぎる、知りすぎちゃる。けれども、私はなぜ繁雄さんを使うかと言うと、もう、その、お茶の約束などは、もう、無視したものでいいて言う。ただ、繁雄さんが真心を込めて入れられる。
 ある場合には、それが、素朴に素朴に。ね。ですから、なるほど、渡辺先生なら渡辺先生辺りが見ると、ああ、そのお茶碗にはこの茶托がいいですよと言うが、本当に立派かも知れません。けれども、そこんところに私は、繁雄さん、あんたのお茶でなかにゃいかんと言うのは、そこのところがあるから、アンタがあそこはおかげ頂かんならんよち私が言うておるのに、そんな訳なんです。
 ところが、そういう、繁雄さんが感じられたような雰囲気を渡辺先生も、あらっ、これは、ちった出すぎたなと感じられたらしいんですよ。昨日、お礼に出て見えてからですもん。先生、生まれ変わらせて下さいって、これが一番口でした。いや、どげな風に生まれ変わるのち私が。(笑)それが先生、もうこの頃、失敗致しましたちゅう。ね。いわば、しげおっちゃまの言うことをあんまり聞かじゃったちゅう意味でしょう。
 ね、それけど、私は繁雄さんには申しました。ね。そのくらいな信心じゃ出けませんよて私が。まちっと、豊かに大きゅうなんなさらな。ね。誰がこうしたから、ああだったから、もう、自分はこの御用をご免蒙りますといったようなことでは、信心じゃない。そこの受け方が、まちっとアンタはおかげ頂きなさらにゃいかんですよと言うて、まあ、申しましたことですけれど。その、だいたいがですね、私がここでは、その、根性があんまり悪くないわけですね。根性が悪くないということは、どういうことかと言うと、根性がなさすぎる。最近はあの、根性ということ。信心に、もう根性がいる。教団なんかで、それを言ってますもんね。何をするにも、一つの根性がいる。商売をするなら、商売の根性がいる。そういう意味合いにおいてですね、どうも、合楽の人達は根性がなさすぎるです、腹が良すぎるです。
 ですから、すぐ、ぷりぷり腹かく。ね。根がないです。ね。そりゃあ、もう、これのしっかりした人はですね、どげなこと言われたっちゃですね、心の中じゃフンと思うとったっちゃ、ああ、そうでございますかちゅうごたる風で、もう平気でおるです。これはもう、いよいよ、性根が悪いとです。(笑)そげんとは、(からに?ざらに?)おらんですもんね。けっきょく、類は類を持って集まるでですね、もう、けっきょく。ふうたらぬっかつの集まり。そんかわり、無精モンです。(笑)
 もう、一ヶ月延期ち言いよると、ガッカリするごたるとばっかり(笑)。ね。ですから、そこはですね、性根が、んなら、しっかりしとっても、しっかりしとらんでもです、同じです。ね。そこで、信心して徳を受けてということになって来るんです。ね。徳を受けますとですね、どんなに、なら、私のごたる無精モンでもです、例えば、ここに座っとるなら座っとるということが、初めの間はなるほど泣くごと辛かった。ね。
 けれども、ね、それを辛抱させて頂きよったらです、おかげを頂いて、それが有り難いものになって来た。少しずつ、身に徳を受けて来たわけなんですよ。ね。身に徳を受けて参りますとです、あの人がああ言いなさったけんげ、こうじゃったから、ああだったからといったような問題は、さらさら無くなって行くです。ね。一心に願えおかげは和賀心にありと仰る、その和賀心がですね、だんだん、本当なものになって来るからなんです。心のいわゆる性根がしっかりしとってから、何ごつ言いよるかと思うとったっちゃ、はあ、そうですねと言うのとは違う。もう、本当にそうですねが言えれる私になられる。ね。
 信心させて頂きよってもです、ね、神様が本当に這えば立て、立てば歩め。ね。その親心を様々な形で現して見せて下さる。そして、後で考えてみると、こういうものを下さった、こういう風に育てて下さるために、ああもあったんだ、こうもあったんだということになって来る。
 ね、ですから、どうでも、やはり神様のお育てに対してです、こちらが素直な心にならにゃいかん。ね。先日から、私がいつかお話しましたですね。久留米の岡崎さんが、本当にあの、例えばお金ならお金でも、一万円なら一万円のものをです、半分、半分は神様の御物、半分なまだ自分(かたり?)だというごたる風な気持ちだった。言うなら、五十パーセントだけは、その、神様のおかげでということが分かる、と。
 しかし、それはそれで、もう、大したことばいち私は言いよりました。それから十日ぐらい致しましてからでしょうか。もう、あることで非常に感激してから、お礼に出て見えました。親先生、おかげを頂きましてから、神様の御物が八十パーセントちゅうことが分かりましたち言うてから言いよった。
 ほらあ、お宅は、本当にもう、あと二十パーセント、素晴らしかばい。けれども、決して、あんたはまあだ、小学校でもなからなければ、中学校でもなかばい。言うならば、幼稚園で、まあ、優等生というような感じだから、ね、まあだまだ、上には小学校生もあるばい、中学生もあるばいて言うては話したこっでございました。ね。たしかにそうなんだ。なるほど、話を聞けば聞くほどに、なるほど、そういうおかげを頂くなら、本当に神様のお働きは八十パーセント、自分の働きというものは、もう、二十パーセントしかないというところまで分かった。これが段々だんだん分からせて頂いて、神様のお働き百パーセントと分かったからと言うて、それは、幼稚園をようやく卒業しただけよと、私が申しました。
 信心て、そんなに難しいもの。だから、私が言うておることでもです、それぞれの、やはり信心の程度において、同じようなことが分かっておるようであっても、幼稚園で優等生もありゃあ、中学校での優等生もあるのですからね。もう、限りがないです。なら、私がいかにも悟りをすましたようにしてお話しとるようであってもです、ね、もっとお徳を受けられた先生方がご覧になったら、あんた方はまだ幼稚園ばいと言われるに違いないだろうと、こう思います。ね。
 そこんところを、私どもは極めて行かなきゃならん。ために、どうでも、私はその、必要なことはです、雨が降るから風が吹くから、どのような場合でも問題の場合でもです、一つのことを成して行く上には、必ず雨がある、辛抱、その(  )あるんだ。ね。そこんところを、ね、それこそ神にすがっての辛抱だ。ただ辛抱じゃいかん。あの、性根が悪かていう(荒れ出し?)。(荒れ?)での辛抱でよかたい。これはいかんです、もう、必ず癌になる。うん。私どんが若っか時には、もう、こげんして辛抱したばのち言うちから、もう、それば言うごとなると、もう、これはいかんですもんね。
 それじゃない。もう、良うも良うも、あそこを本当に神様に一心におすがりしたから辛抱が出けたんだという、神様のおかげで辛抱が出けたんだという辛抱でなかにゃいかんのです。してみるとです、合楽的にでです、ね、ちった無精モンやら、あんまり、これがしっかりしとらん方がいいです、おかげが頂きやすい。
 本当に、とても私ごたる無精モンが良うも良うも、神様のおかげなればこそ、辛抱が出けたんだということになる。ね。そこに、私は身に徳を受けて行けれる信心がある。ね。身に徳を受けなければ、どうにも行けないようにある。ね。そこんところにはですね、やはり神様からです、ね、様々なお育てがございましょうけれども、そこんところをです、もう、椛目の人は、合楽の人は、どっちかち言うなら、こん腹が中からすぐぷりぷりする。ね。すぐ、こうだ、ああ言うた、いや、もう、私は難しかちゅうごたる風なことになるけど、それは、腹がなか証拠です。ね。
 けど、そこんところを神にすがって辛抱をするのよ。そこんところを神にすがって、言わんで済むおかげを頂かせて頂かにゃいかんです。渡辺先生、あなたどげな風に生まれ変わるのち。それは、どげな風に生まれ変わるか分からん。ね。私どもは、もう、それこそ信心を頂いておる間に何遍生まれ変わらなければならないか分からないと思う。ね。それこそ、生き変わり死に変わりである。ということは、いよいよ、自分の我情を捨てて行こう、我欲を捨てて行くということが、生まれ変わりなんですよ。ね。自分の思いを捨てて行く。自分の目先のしか(  )ない、欲なんかに惑わされまい。ね。自分のこうが良い、ああが良いというような小さい我情に捕らわれちゃならん。そういう我情が我欲がです、生まれ変わる度に脱皮されて行かなければならない。幼稚園から小学校、小学校から中学校というようにですね、一つの信心の段階というのは、進んで行くにしたがって、生まれ変わらなければ、そこの次の信心やらおかげは受けられないのです。
 どうでも一つ、もう、あと幾日かでの信心修行もですね、まあ、しかしね、それば、じゃろうといったようなお気付けを頂かん人は、まだ、まだそれでよかっですよね、まだそこでよか、もう、それでよかよか。
 けれども、そこに、はあ、これは神様がもう一つ元気と言いよんなさるとじゃなかろうか、というようなものを感じたらですね、そこをやはり、辛抱し抜かにゃいけません。ね。そこんところを泣く泣くでも辛抱せにゃいかん。ね。そん辛抱して行きよる内に、その辛抱こそが身に徳を受ける修行じゃと仰る。
 徳を受けたら、もう、そこは辛抱する世界ではない。ただ、有り難いばかりの世界なのである。ね。そこんところを、私どもはこの、修行の決め手と見せなきゃいけないと、こう思う。ね。これから、こう、こういう修行をさせてもらった。ね。それは、その修行が、もう修行ではないほどの修行なんです。ね。
 35年間という、長い長い間をですね、その津田先生のお話ですね。それが、もうぜんぜん、現在では必要と思うてない、もう、当たり前なこととして成されておられる。やっぱ人間ですけん、眠い時もあったろう、寒い時もあったろう。もう、ここ辺でというような時もあんなさったかも知れん。けれども、そこを貫きよんなさったら、それが、ああいうような元気なですね、あの、その溌剌としたものがです、どこから生まれて来るだろうかというような、徳を身に受けられた。ね。
 その辛抱こそが身に徳を受ける修行ぞ、と。それはガッカリしますもんね、まあ、ここまでぞ、ここまでぞと、ね、ここまで来いと言われるけん、そこまで行くと、また後ろさ(膝ってから?)、ほら、ここまでて言うなら、泣き出そうごたる。けれども、そこんところが、私は親心と分からせてもろうてですね、私は、その親心に添うて行こうとする願いを立てての信心でなかにゃいかん。
 合楽の方達は、何とかなしにです、あんまり、これがしっかりしてない。ね。辛抱強うない。ね。ですから、かえっておかげが頂けよる。このことだけは辛抱し抜かせて頂く。その辛抱し抜かせて頂きよるところへ、ね、信心によって徳を受けて、おかげを頂かせてもらいよりますと、その無精モンじゃった私たちがですね、どういうような御用にでも実意丁寧にそれを辛抱強うなさせて行って頂くことが有り難いということになる。そういう風になった時に、初めて私は、生まれ変わったということが言えるのじゃなかろうかと、こう思うんですよね。どうぞ。